お茶と歴史

お茶の発祥中国の茶の歴史お茶の伝来
お茶の発祥

 朝起きてまず一服のお茶、お客様には「お茶でもどうぞ」などお茶は暮らしの中にしっかりと根付いています。旅行へ行く時も片隅にお茶の葉を入れて持って行く人は 結構多いものです。それほど親しまれているお茶のルーツをたどると中国西南部から 東南アジアへかけての山岳地帯といわれています。

 お茶は緑茶と紅茶に分けられ、それぞれに発達して、文化を形作ってきました。原料である茶の木は同じですが、葉の処理の方法が違うのです。

お茶の葉を発酵させていないのが緑茶半発酵させるとウーロン茶発酵させたものが紅茶となります。中国のお茶といえばウーロン茶に代表される半発酵があまりに有名ですが、茶の発祥地 に近い西南部へ行くと緑茶が主流で、水墨画の故郷といわれる黄山などは緑茶の産地 としても知られています。

 茶文化圏でもさまざまな飲み方があるようです。珍しいのは、北部タイの発酵噛み 茶ミエン。一種の漬け物にした茶の葉に塩を添えて噛むとのだそうです。ミャンマー では発酵食べ茶ラペソウがあります。塩水で洗った茶の葉を油、ニンニク、タマネギ 、干しエビなどと一緒に和えて食べるといいますから、ここでは食品になっているようです。

 チベットやモンゴルでは、団茶と呼ばれる茶の葉を固めたものを削って鍋に入れ、 煮立たせてから攪拌器に入れ、バターを加えます。中国から伝わったお茶に遊牧民の 乳製品文化が融合して独自の喫茶方ができたのでしょう。

中国のお茶の歴史

 中国でのお茶製法は時代によって変遷します。唐時代には茶の葉を蒸して搗き固めて乾かした団茶でした。この形が今、チベットやモンゴルに残っています。

 宋時代になると抹茶方になります。日本にお茶を伝えた栄西禅師はこの抹茶だったようです。

 今のような煎茶が入れられるようになったのは明時代になってから。急須をはじめ 、喫茶道具も発達していったのです。抹茶方は現在、中国のどこにも残っていません 。日本で茶道文化として花開き、これほど親しまれているというのも不思議なことです。

お茶の伝来

 お茶の伝来については諸説があります。天平元年(729)に聖武天皇が100人の僧を 内裏に召して般若経を講じさせた後、茶を賜ったという記録が残っていますが信憑性 に問題があるようです。確実な記録として現れるのは平安時代の「日本後記」「類聚 国史」によると弘仁6年(815)4月、嵯峨天皇が近江滋賀の唐崎へ行幸の折、崇福 寺の僧永忠が茶を煎じて天皇に奉ったと記されています。そして同じ年の6月には畿 内、近江、丹波、播磨などに茶の木を植えさせ、毎年献上させたことになっている。 余程お茶の味わいがお気に召してのことだったのでしょうか。遣唐使はきっとお茶を持ち帰ったのでしょうが、正式な記録にも残らず、天皇を中心とした一部の貴族だけが味わったのだと思われます。

 日本のお茶の祖といえば栄西禅師。建久2年(1191)宋から帰国する時に茶の種を 持ち帰り、佐賀県の背振山に植えたと伝えられています。地元では「栄西さんのお茶 の木」として知られていて、山を登ると栄西禅師が植えたという木でしょうか、お茶 の大きな古木があります。建保2年(1214)には京都栂尾の高山寺にいた明恵上人に 茶の種を贈り、ここから本格的な喫茶の道が開かれていきました。鳥獣戯画で知られ る明恵上人の高山寺には、日本で最も古い茶畑が残されています。

 栄西禅師とお茶の逸話も残され、お茶との関わりの深さを物語っています。それは 、三代将軍源実朝が二日酔いで頭痛がひどかった時、良薬として「喫茶養生記」と共 に一服の茶を差し上げたところ、たちまち心気爽快となって茶の効用が証明されまし た。お茶とともに栄西禅師の名も高まっていったようです。

 また、桜や彼岸花で有名な奈良県榛原町にある仏隆寺には、空海が唐から持ち帰ったという茶臼が伝えられており、ここが日本の茶の発祥地ともいわれています。