咄々斎(とつとつさい)
1855年(安政二)、玄々斎が建てた八畳の席で、宗旦の号をとって咄々斎と命名されました。床は、又玄斎一燈手植えの五葉松古材の柱に蔦の框、床脇は踏込地板敷の正面に大きな下地窓を開け、利休が秀吉から拝領した銅鑼が吊ってあります。五葉松の古材を長板の寸法に切り、これを組み違いに張った格天井は一崩しの天井と称し、床脇上方の竹、前庭の「梅の井」と名付けられた井戸と共に配して松竹梅に擬してあります。
欄間の香狭間桐透しや反古襖(ほごぶすま)などいずれも玄々斎の趣向の深さがしのばれます。代々の家元が出座されている式場でもあります。
本席の命名は元伯宗旦の咄々斎の号によるものですが、特に小松宮彰仁親王は晩翠の名を用いられ、玄々斎のために咄々の文字をお書きになり、今も扁額として掲げられています。
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